bekkou68 の日記

Gogengo! や IT 技術など。

Gogengo! の思い

(最終更新日: 2018/4/23。公開日: 2017/11/12)

思いを見い出す

思いは宙にふわふわと浮く雲のようだ。それでいて普段の考えや行動が生まれる泉のようだ。思いを見い出せたら大切な何かをつかめそうだ。いったいどうすれば見つかるのだろう。きっと簡単ではないだろう。これまで歩いてきた道をふりかえってみたら何かわかるだろうか。ためしに身近なことから思い出してみよう。Gogengo! では英語を題材にしているから「英語を学んでいてよかったこと」を思い出そう。

英語を学んでいてよかったこと

仕事で英語が役に立ったことを思い出してみよう。これまで IT に関わるエンジニアとして 10 年やってきた。技術の情報は英語で発信されることが多い。英語を読めると世界の技術の動きを知るのに役立っている。幸運なことに、英語で書かれた技術の本を翻訳する機会があった。本の名前は『アジャイルサムライ』といってプロジェクトの進めかたがまとめられている。翻訳が歯ごたえのある仕事だと思い知った。他にもサンフランシスコで 3 か月ほど仕事をする機会があった。実際に外国に住んでみると雰囲気を肌で感じ取れた。これらの経験は今の自分をつくり上げる大切な存在である。

聞いた話をひとつ思い出した。日本における会計の基準には国内会計と国際会計がある。国際会計の原本は英語で書かれている。それぞれを比べるとだいぶ別物らしい。たとえば M & A の時に検討されやすい基準はどちらかと言うと国際会計のほうだ。国際会計のほうが償却の観点で優位だそうだ。英語がわかる会計士なら、M & A を依頼された時の選択肢が多そうだ。英語を学んでいれば「やっててよかった」と思える時はきっと来るのだろう。さて。次は何を考えてみよう。Gogengo! をとおして伝えたい「語源を学ぶたのしさ」を考えてみようか。

語源を学ぶたのしさ

語源とは「言葉の成り立ち」である。言葉の成り立ちを調べると、おのずと歴史や文化を知ることになる。歴史や文化は言葉に隠れた物語である。隠れた物語を知ると物事は覚えやすくなる。なぜ覚えやすくなるのだろうか。人が物事を覚えておくには記憶が必要だ。記憶の仕組みは解明されておらず様々な仮説がある。仮説のひとつに「海馬仮説」がある。どういった説かというと、情報はまず脳の一部である海馬に入る。情報は海馬にしばらく保存されているが、情報が重要でないと判断されると次第に破棄される。反対に情報が重要だと判断されると側頭葉へうつる。側頭葉の情報は長く記録されるという説だ。海馬仮説とこれまでを照らし合わせると納得できる体験は多い。好きな歌手が目の前で歌ってくれたことはいつまで経っても覚えている。好きなことは脳に重要だと判断されるのだろう。通学路や通勤路は覚えている。繰り返しは脳に重要だと判断されるのだろう。ここで先ほどの疑問に立ち返る。言葉の成り立ちを知ると覚えやすくなるのはなぜか。それは言葉の「なぜ」を知るからだ。「なぜ」を知ることは脳に重要だと判断されるのだろう。company の語源である pan が、食べられるパンだと知った時の驚きは忘れられない。「なぜ」を知る発見は、心を響かせて記憶に残してくれるのだろう。

英語を学んでいると色々なことが気になってくる。「なぜ英語の発音は複雑なのか」。「なぜ英語のつづりは複雑なのか」。「なぜ英語は多くの人に話されているのか」。「なぜ」から始まる問いは歯ごたえがあって面白い。語源を深く追うとそれらの疑問への光明が差す。歴史や文化。様々な人の意図が見えてくる。言語同士を比べることも面白い。ためしに英語と日本語を比べると、そもそも発想が違うことがわかる。言葉によって世界の見かたが違うのだ。言語同士の発想の違いは、美術、庭づくり、地名の傾向にすら現れてくる。傾向が見えてくるといくつも仮説が立てられる。それらの仮説を検証しながら日々を過ごしていると発見は尽きない。発見をもとに考えごとをしていると、いつの間にか日が登っている。だから語源を学ぶことはたのしいのだ。

だんだんと考えが進んできた。今度は英語の過去、現在、未来を考えよう。見つけ出したい思いは、時が経っても変わらないものだから。

英語の過去、現在、未来

英語の起源はグレートブリテン島にある。グレートブリテン島には人々が海を渡って訪れた。時には争いが起きた。ノルマン征服では英語の構造が大きく変わった。黒死病では英語が滅びかけた。過酷な状況にさらされながら英語の発音やつづりは変わっていった。今では英語は 15 億人に話されているそうだ。2018 年時点の世界の人口は 76 億人であるから、5 人に 1 人が英語を話していることになる。内訳は ENL が 3 億 5 千万人、ESL が 3 億 5 千万人、EFL が 7 億 5 千万人である。ENL は英語を母国語とする話者であり、ESL は英語を第二言語とする話者であり、EFL は英語を外国語として学ぶ話者である。ENL はアメリカ・イギリス・カナダ、ESL はナイジェリア・インド・シンガポール、EFL は、日本・中国・ロシアといった国が該当する。ここでインターネットにも目を向けよう。W3Techs の "Usage of content languages for websites" という調査に着目する。2018 年 3 月の時点で 1000 万件のウェブサイトを解析した結果、それらの情報量のうち 52.0% が英語である。インターネット上の情報量の半分が英語だというのだろうか。世界中で膨大な情報が英語で飛びかっていることは間違いなさそうだ。

英語は今後どうなっていくのだろう。まずは日本における英語の 10 年後を考えてみよう。2020 年には東京でオリンピックがひらかれる。その影響で英語を学ぶ人が増えているようだ。ボランティアやタクシーの運転手など様々な人が英語を学んでいる。英語を学ぶ環境は多様になってきた。インターネットを使えば手軽に日本語を英語に翻訳できる。英会話の相手をロボットがしてくれる。人の流れは国をまたぐようになり、英語にふれる機会は増えていくだろう。日本における英語学習はますます盛り上がるのではないだろうか。

数百年後はどうだろう。技術が発達した社会で言葉はどうなっているのだろうか。体に埋め込んだ機器が翻訳してくれるのだろうか。バベルの塔の民のように同じ言葉を話しているのだろうか。言葉が抽象化されてテレパシーのように対話しているのだろうか。そうしていつか人々は言葉を忘れ去るのだろうか。

社会の過去、現在、未来

社会には人の数だけ考えがある。人の数だけ希望がある。人は、食事をしたい、健康に生きたい、夢を叶えたいといった希望を持っている。希望があるから仕事が生まれる。仕事とは「希望を実現すること」である。人はお互いの希望を実現し合って生きてきた。そうして今を築き上げた。人の希望が尽きない限り、仕事は生まれ続ける。仕事が生まれ続ける限り、希望は実現され続ける。希望が実現され続けることで社会は便利になっていく。希望がつつがなく実現される環境を「便利」と呼び、希望が実現されない環境を「不便」と呼ぶ。自分で食べる野菜を自分で育て、自分で着る服を自分で仕立て、自分で住む家を自分で建てている人は、現代にどれだけいると言うのだろう。自分の希望は他者によってほとんど実現される環境になってきた。

はるか昔の旧石器時代までさかのぼろう。人は空腹を満たしたいなら、未開の森林へ果物を自分で取りに行った。寝たいなら、草や木を自分で敷いて寝床をつくった。いつ猛獣に襲われるかわからない環境にいて、その日を生き抜くことに精一杯だった。安心できない日々を送っていた。「具体的な希望」を「具体的に実現」するのに精一杯だった。「具体的な希望」とは、空腹を満たしたいとか、寝たいといった、「生きることに欠かせない度合いの高い希望」である。そして「具体的に実現」することは、自分で実現する度合いが高いということだ。自分の希望をすべて自分で実現することは大変だから、力を貸し合っていた。集団で狩りをしたり、家を建てたりしていた。言葉が発達するにつれて工夫できるようになった。罠を張って獲物を待ちかまえたり、敵に襲われた時に伝達し合い身を守ったりした。工夫は学びを育んだ。学びが育まれるほど実現できる希望は大きくなっていく。稲作や農作を始めて食糧をいつでも得られるようにした。機織りや製鉄することで複雑なものをつくれるようにした。蒸気機関や印刷技術が発達することで人が元々持つ能力を超える希望を実現できるようになった。

先人たちの積み重ねの結果、その日生きることが保証されるようになってきた。保証の仕組みはお金や保険にも現れている。保証は安心を生む。安心できる環境では、人々の「抽象的な希望」が「抽象的に実現」される。まず「抽象的な希望」には「多様な希望」や「強力な希望」がある。「多様な希望」とは、傾向は似ていても異なる箇所がある希望である。空腹を満たしたいという希望のなかにも、手早く済ませたい、栄養をバランスよくとりたい、あの土地の料理を食べたいといったように多様な希望がある。また「強力な希望」とは、実現するには人が元々持つ能力をこえる必要がある希望である。強力な希望の例をあげると、1 万人が一度に目的地へ素早く移動したいとか、歩いて 100 日かかる遠くの土地の出来事をすぐに知りたいといった希望である。旧石器時代の人々から見たら神がかりな現象である。このように抽象的な希望には多様で強力な側面がある。次に「抽象的に実現」することとは、人ではないシステムが実現する度合いが高いということだ。帰り道に駅まで一緒に送ってもらったら友達にお礼を言える。タクシーで送ってもらったら運転手にお礼を言える。電車で送ってもらったら運転手にお礼は言いやすいだろうか。電車は誰がつくったのだろうか。当たり前に供給されている水、電気、ガスは、いったい誰が実現しているのだろう。希望が抽象的に実現されるほど、実現する主体は見えづらくなる。機械化やプログラミングによって、希望を実現する主体はますます人から遠ざかっていく。技術の進歩は人に何をもたらすのだろう。人の倫理に背く制御できないシステムを自律化した時に、人は滅ぶ危機にいたるのだろうか。安心のために希望を実現してきたはずではなかったのだろうか。それでも次の安心をまたどこかで見つけるのだろうか。

抽象的に生きることは進化なのか。具体的に生きることは退化なのか。変化することは進化なのか。変化を止めることは退化なのか。よい変化が進化なのか。わるい変化が退化なのか。「よい」とは何か。「わるい」とは何か。「よい」とか「わるい」を決めたがるのは、どこかに「ただしさ」や「間違い」があると信じたいだけなのかもしれない。信じてつくり上げたシステムが法律や道徳や倫理なのだろうか。人は「ただしさ」や「間違い」を見い出さなければきっと生きていけないのだろう。それとも人の尺度を超えた「ただしさ」や「間違い」はあるのだろうか。それを見い出す意味はあるのだろうか。意味は人がつくり出した概念であるのに。

わからないことだらけの世界でたのしく生きる

いつの間にか色々なことを考えていた。あらためて Gogengo! に立ち返ろう。Gogengo! では英単語を語源のたのしさを伝えたい。「たのしさ」とは何だろう。たのしさは感情だ。心のふるえだ。たのしいと感じることは何だろう。言葉を調べたり、少ない人数で長く話したりすることだ。人によっては、山を登ったり、大人数で盛り上がったりすることがたのしいと感じるのだろう。たのしいと感じる時間はいつだろう。子どもの頃と大人になってからでは違う気がする。たのしく感じるのは今だけなのか、時々なのか、未来なのか、ずっとなのかといった違いもある。

たのしさは心地よい感覚だ。特に学んでいる時が心地よい。学びとは、知って、感じたり考えたりして、気づいて変わることだ。学びが苦しい時もあるが、できればたのしみたい。たのしく学ぶことは、たのしく生きることにつながる。語源を知ることは「なぜ」を知ることだ。「なぜ」を知ることは、奥に眠るものを知ることだ。いつの間にか、なぜ言葉に意味があるのかを考え始めている。仕事とは何か。社会とは何か。考えるとは何か。言葉とは何か。命とは何か。存在とは何か。世界とは何か。本当とは何か。意味とは何か。時間を忘れて打ち込めるたのしさが、そこにある。

宇宙が誕生したのなら、逆のことはいつ起きるのか。この世界はいつ終わるかわからない空間だ。生きているこの空間が仮想かどうかを知るすべはあるのだろうか。どうやらこの世界では何が本当か知ることはできないようだ。自分を動かす命が何なのかすらわからないのだから、気を抜いたら自分はすぐに見失ってしまう。それでも何かをわかった気になりたい。だから今日も人と話したり本を読んだりするのだろう。自分はここにあるのだと思いたい。だから今日も一つひとつの言葉を調べて自分にどう響くかを書き残すのだろう。書き残した言葉と向かい合っていると、まるで自分と対話しているような感覚になっていく。自分の言葉は互いに響き合って、自分の物語となっていく。学びの物語をつむぎながら生きることは、たのしくて心が満たされる。だからこの思いをかかげよう。


生きることは学ぶこと。

せっかく学ぶなら、たのしく。

たのしく学ぶことは生きる活力となるから。

たのしく生きることにつながるから。